果樹園芸学研究室の歴史
1949年(昭和24年)に高知大学農学部が1学科11講座として発足し、園芸学講座に吉村不二男先生を招くことで果樹研究が始まり、果樹園芸学研究室の土台が出来上がりました。
1963年には中島芳和を迎え、蔬菜・花卉と果樹が分離し、果樹は「暖地果樹園芸学講座」として、果樹園芸学研究室の歴史が始まりました。
1964年には農学科が暖地農学科に改称されると、講座名は「果樹園芸学講座」に改称されました。(1954年に林学科、1960年に農芸化学科、1962年に農業工学科、1965年に栽培漁業学科が設置され、以降5学科体制に)
1982年には吉村先生の後任として長谷川先生が着任し、中島教授・長谷川助教授によって担当されました。
1992年(平成4年)には、それまでの5学科31講座から5学科12大講座制に改組されました。1997年以降は2回生から日章キャンパスに移り、専門教育を受講するようになったのはこの時代です。
中島先生が定年退官後は北島先生が助教授として1994年に着任しました。2004年に北島先生が京都大学へ転出しましたが、尾形先生が後任として着任しました。
2009年長谷川先生が定年退官し、その後任として浜田が着任、尾形教授・浜田講師体制で研究室が運営されていました。その後、2021年3月に尾形教授が龍谷大学へ転出し、現在に至ります。
果樹園芸学講座(研究室)として、最初の卒業生を出したのは、1964年(昭和39年)の第12回の卒業からで、そのときは3名でした。現在当研究室には1965年からの卒論が保管されています。以降五十余年を経て、卒業生は210名以上を数えるほどになりました。昭和51年と57年には卒業生がいなかったので2015年3月(2014年度)の卒業生で50回卒業生を世に送り出したことになります。
2020年3月までに、学士230名以上、修士27名、博士5名が社会に輩出され、地方公務員、国家公務員、一般企業、農業、JA、研究機関、大学などで活躍しております。
〈参考資料〉高知大学30年史、高知大学50年史、日章会名簿